村上廉(むらかみ・れん)は、小学校のころからずっと「優等生」と呼ばれてきた。
先生に褒められ、親に誇られ、同級生には「真面目そう」と言われた。
中学に入り、彼がシャツを一度だけ出して登校した日、担任が言った。
「どうした? 君らしくないぞ、廉くんはもっときちんとしてるだろ」
高校では、授業中に居眠りをしていたクラスメイトにノートを見せただけで、
「さすが廉、真面目なやつは違うな」と周囲が持ち上げた。
大学では、自己紹介で「本を読むのが好きです」と言っただけで、
「ああ、文学青年ね」「意識高そう」「やっぱ優等生タイプ」と一斉にラベルを貼られた。
しかし、廉は密かに、パンクバンドのギター担当としてライブハウスで演奏していた。
SNSでバズり始め、「このギタリスト、音が刺激的!」と話題になった。
ある日、親しい友人に動画を見せながら言った。
「実は、このギター、俺なんだ」
友人は一拍おいて言った。
「廉がこんなことできるわけないじゃん。もっと地味なタイプでしょ」
「え? そんなキャラだったっけ?」
廉はその瞬間、何かが音を立てて崩れるのを感じた。
「俺って、誰だ?――」
その夜、鏡を見つめた廉の頭の中に、哲学の授業で聞いたサルトルの言葉が浮かんだ。
「人間は、他人が決めるものではない。」
「人間は、自らが選び、行うことでしか、自由な存在にならないのだ。」
彼はペンを持ち、履歴書の「長所」の欄に初めてこう書いた。
「とくになし。ときどき、自由人」
そして欄外に小さくこう付け加えた。
「私を決めるのは、私だけだ」
