ショートショート とある喫茶店

都内のとある喫茶店、午後3時。
古びたJBLのスピーカーから、しっとりとしたビル・エヴァンスが流れている。

「やっぱり、ジャズは気楽でいい。行き当たりばったりで、破綻寸前が心地いい」
コーヒーカップを傾ける男の名は――太宰治。

「それはつまり、軸がないと言っているようなものだ。構造美こそが芸術だ。すべての音には意味がある。それがクラシックだ」
革の手袋を外しながら座ったのは――三島由紀夫。

「君の好きなベートーヴェンだかワーグナーだか知らんが、そんな譜面通りの人生、退屈だよ」
「君のジャズとやらは、感情の垂れ流しだ。自堕落で即興的。そんなものは芸術ではなく、ただの情緒遊びだ」

「でもね、三島くん。人間はそんなに綺麗に生きられないよ。リズムが外れたって、ちょっと音が濁ったって、それが生きてるってことじゃないの?」

「濁った音を美しいと言うのは、敗者の論理だ。私は、完璧な美を追求する」

「そうやって、設計図どおりに、死ぬ日まで決めてしまったのが君だったね」

「いや、君も同じようなものじゃないか」

一瞬、沈黙。スピーカーが小さくノイズを吐いたあと、グールドのバッハに切り替わる。

「……ちょっと違うよ。僕は、アドリブで死んだんだよ」

二人は静かにコーヒーを飲み干し、立ち上がった。

太宰は店員に、「さっきの曲、誰です?」と聞いた。
三島は、それを見て小さく笑い、こう言った。

「君の音楽には終わりが見えない。私の音楽には、終止符がある」

ドアチャイムが鳴ったとき、次に流れてきたのは、チャーリー・パーカーだった。

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