海辺の古い町で、ひとつの噂が囁かれていた。
――本当に愛した人に、もう一度だけ会える場所がある。
それは、「太陽の東、月の西」と呼ばれるどこにもない場所。
高校時代の恋人、紗季を失ってから10年。
直哉はどこか半分だけ抜け落ちたような人生を歩んでいた。
ある日、彼は旅先の古本屋で、見覚えのある便箋に気づく。
それは、紗季が好んで使っていた紙だった。
中には、こう書かれていた。
「太陽の東、月の西で待ってる。紗季」
まさか、と思いながらも、直哉はその手がかりを追って小さな港町へ向かう。
かつて彼女と訪れた町だ。
夜、満月が海面に反射する浜辺で、彼は誰かの背中を見つける。
風に揺れる髪。見間違えようもない、あの後ろ姿。
「……紗季?」
彼女はふり向かない。
「やっと来てくれたね。ずっと、ここにいたのに」
直哉が近づくと、彼女の輪郭は波の音とともに淡く揺れた。
これは夢なのか。幻想なのか。
けれど、彼はそっとその手に触れる。
彼女の手は、かすかにあたたかかった。
朝になって、浜辺には誰もいなかった。
だが、直哉の胸には確かに、彼女の声が残っていた。
「愛してくれて、ありがとう。私はもう、行くね」
それからというもの、直哉は毎年、月の満ちる夜に浜辺を訪れる。
誰かを見つけるためではなく、誰かに見つけてもらうために。
