休日の午後、ミドリは一人で美術館にいた。
目の前には、ピカソの一枚の絵——《女の肖像》。
顔のパーツはバラバラに配置され、目は横を、口は正面を、そして鼻は横を向いている。まるで何かを拒絶するかのような、複雑な女性の表情。
「……なぜこの絵が有名なのか、私には分からない」
ミドリは心の中でつぶやいた。
隣にいた中年の男が、ふと声をかけてきた。
「その女、逆さから見ると、笑ってるんだよ」
「え?」
「床に座って、足元から見上げてごらん。ピカソはそれも計算して描いてる」
興味半分でミドリはしゃがみ込み、下から見上げた。
すると、奇妙にゆがんで見えた顔が、ふと柔らかく笑っているように見えた。
怒りとも悲しみともつかない表情は、角度を変えただけで安らぎに変わっていた。
「……ほんとだ」
ミドリはゆっくり立ち上がり、もう一度正面から絵を見た。
今度は、そこにいた女性の“表情”が、ただのゆがみではなく「選ばれた表現」なのだと、なんとなくわかった気がした。
「あんた自身がどう見てるか、ってことなんだ」
中年男はそう言って、絵の前から離れていった。
ミドリはしばらくその場を動けなかった。
ピカソが描いたのは、ただの女の顔じゃない。
それは「見る者の中の、心の変化」だった。
