かつてこの世界に「銀行」という機関があったらしい。誰もその仕組みを正確には知らないが、人々のお金を預かり、必要なときに貸したり返してもらったりする場所だったという。
今、その役目を果たしているのは──金庫職人だ。
71歳の老職人・ソウは、山のふもとにある工房で金庫を作っていた。依頼者は後を絶たず、彼の金庫は“壊せない・盗まれない・絶対に開かない”と伝説的な評判を持っていた。彼が作る金庫には、依頼人の「人生設計」が詰まっていたからだ。
ある日、若いカップルが工房を訪れた。子どもが生まれる前に、少しでも未来を守りたいと話す彼らに、ソウは目を細めた。
「貯金はすべてが自分の責任。それが今の世界じゃな」
彼は2人の話を静かに聞きながら、紙に設計図を描き始めた。
「これは未来を守る金庫だ。中にはお金だけじゃない。お前たちの夢、子どもへの想い、老後の希望も詰め込め」
納品から10年。金庫は彼らの家の床下に、静かに眠っていた。
ある日、世界が大混乱し、流通が停止した。人々はスマホ決済もできず、手持ちの現金すら不安になった。
しかしその家では、必要な分だけ金庫から取り出して慎ましく暮らした。
金庫に詰めた“信頼”が、世界の混乱を超えたのだ。
そして──その金庫の蓋の裏には、こう彫られていた。
「信用を生むのは、制度じゃなく、人だ。」
