ショートショート 偽りの涼子

鷺尾涼子は28歳のOL。東京の陽があまり当たらないアパートの一室で、孤独な生活を送っている。派遣社員として事務仕事をこなし、仕事が終わるとまっすぐ家に帰る平凡な日常。休日は決まって近所の図書館でお気に入りの作家の本を読んで過ごしている。部屋の中では、SNSの中の“もう一人の自分”として過ごす時間が彼女の唯一の楽しみだった。

涼子はSNSで、自分を「ファッションモデル」と偽っていた。写真はフリー素材、投稿される写真もネットで拾ったもの。偽りの中で、彼女の言葉だけは本物だった。孤独の中からすくい上げた本音を、誰かに投げかけることで、少しだけ安堵できた。

そんなある日、突然、「K」というユーザーからメッセージが届いた。「あなたの文章、何か親近感を感じる。」

Kは穏やかで知的な男性のようだった。彼は自分を雑誌の編集者だと名乗り、読書の趣味、音楽の好み、ふとした寂しさの言葉まで、Kと涼子の間には共鳴するものが多かった。

やり取りは毎晩の楽しみになり、二人はお互いに、SNSの中でだけは「素直な自分」でいられるようになった。名前も住所も知らないまま、いつのまにか涼子はKに惹かれていた。だが、どこかでわかっていた。これは、本物の恋ではない。「嘘の自分」で関係を築いているのだから。

ある日、Kがこう打ち明けた。「最近、夢の中にあなたが出てくる。できれば、直接会いたい。」

涼子は返事に迷った末、こう書いた。「私も、会ってみたいと思ってる。でも、きっと会わない方がいい。現実は、夢より壊れやすいから。」

その夜、眠れなかった。

翌週、派遣先の会社で人手が足りず、急遽別部署の応援に回されることになった。資料室で重いファイルを抱えていたとき、そこにひとりの男性がいた。背の高さ、声のトーン、何よりもその落ち着いた雰囲気。何処かであったような気がした。

ふとした拍子に視線が合った。

「初めまして」と、その男性が微笑んだ。

名前は相馬慶(そうま けい)。

会話を重ねるうちに、涼子は恐ろしい仮説に気づく。彼の話す内容、好み、言い回し、SNSのKと酷似しているのだ。偶然なのか。確かめたい。でも、もし本当に彼がKだったら?

数日後、社内メールで、相馬が最近まで療養で実家に戻っていたこと、元は出版社に勤めていたことを知る。

「やっぱり、Kだ……」

涼子は震える指で、Kにメッセージを送った。

『最近、現実の世界で誰かとすれ違った気がする。あなたも、そんなことってある?』

Kの返信はこうだった。

『もし君が、あの資料室にいた女性なら、もう答えは知ってるんじゃない?』

その夜、二人は初めて「会う」約束をした。待ち合わせは、夕方の河原。人の少ない時間帯、二人は何も飾らない姿で再会する。

「私、全部嘘だったの。」と涼子が言う。
「僕も。同じようなものさ。」と相馬が言う。

でも、二人とも笑っていた。

「でも、言葉だけは本当だったよね。」

「うん。だから、会いに来た。」

夕暮れの風が、二人の間を吹き抜けていった。

そして、そこから始まる本当の恋と、少しずつ小さくなっていく孤独の物語が、そっと始まった。

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