エッセイ 風のように読む、村上春樹

「そういう時は、村上春樹を読めばいいんだよ」と言われたのは、社会人になりたての頃だった。
何かに疲れたような顔をしていたのかもしれない。あの頃の私は、何かしらにずっと疲れていた気がする。

図書館で『ノルウェイの森』を借りて、帰りの電車の中で読みはじめた。ページをめくるうちに、物語の中の”静けさ”が自分の中に染み込んでくるのを感じた。風のない午後、音のない水面に石を投げ入れたような、そんな読書体験だった。

村上春樹の小説は、不思議だ。特別なことが起きているのに、それが騒がしくない。誰かが失踪し、誰かが愛し、猫が話し、井戸に落ちたりする。でもそれらすべてが、まるで日常の延長のように語られる。その静けさが、時には、現実よりも現実らしい。

私にとって、彼の文章は「言葉の水彩画」だ。くっきりとした輪郭ではなく、淡くにじんだグラデーションで描かれた世界。その曖昧さの中に、読者は自分の感情を滑り込ませることができる。悲しみや孤独、希望や不安が、ゆっくりと溶け込んでいく。

ある人は、「何を書いているのかよくわからない」と言う。確かにそうだ。けれど、わからないままに読めるという体験も、そうそうあるものではない。村上作品は、意味をつかむことより、漂うことを教えてくれる。まるで、ハービー・ハンコックの”処女航海”のように。

風が吹いている。読むたびに、そんな感覚が訪れる。誰かと話す必要もなく、音楽のように、そこにただ流れていてくれる言葉。疲れた心に、ぬるめのお湯がそっと注がれるような心地よさが、そこにはある。

それ以来、私は時々、村上春樹を読むことにしている。世界がうるさいとき、心がざわつくとき、”風のような言葉”が必要になるからだ。

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