その店は、駅から少し離れた裏通りにひっそりとあった。曇りガラスの引き戸を開けると、かすかに埃と珈琲の香りが混じった空気が鼻をくすぐり、どこか懐かしい気持ちに包まれる。店内に流れるのは、Bill Evansの「Waltz for Debby」。音量は控えめなのに、空間全体に満ちるその旋律は、静けさの中の会話のようだった。
私は昔から、ジャズが流れる喫茶店に不思議と惹かれていた。騒がしい場所が苦手だったわけではない。むしろ、日々の喧騒のなかで少しだけ音に身を委ねることが、私にとっては一種の休息だったのだ。
若い頃、私には行きつけのジャズ喫茶があった。名前は「ファイブスポット」。オシャレなママがひとりで切り盛りしている小さなお店で、夜になると若い男女が自然と集まってきた。決して華やかな場所ではなかったけれど、どこかアットホームで、みんなが自然に顔見知りになるような、そんな温かい空気に満ちていた。
あの頃、店内ではさりげない青春がいくつも交差していた。誰が誰のことを好きだとか、誰が振られたとか、そんな噂がコーヒーの香りに混じって静かに広がる。恋の始まりや終わりが、あの店のカウンターでそっと語られ、笑い合い、慰め合い、また次の夜へとつながっていった。
ファイブスポットでは、ジャズはただのBGMではなかった。それは空気であり、記憶であり、感情をそっと包む繭のような存在だった。Chet Bakerの優しいトランペットが流れる夜には、みんな少しだけ無口になり、誰かの心の痛みを察していたように思う。あの頃、私はまだジャズの知識なんてなかったけれど、音に染み込むようにして気持ちを沈めていく感覚を、身体が覚えていた。
喫茶店で聴くジャズには、家でひとりで聴くジャズとは違う味わいがある。誰かがいる空間のなかで静かに流れる音楽は、言葉を交わさなくても、なぜか気持ちを通わせてくれる。沈黙を邪魔せず、むしろその沈黙を豊かにするための音。それが、私にとっての“喫茶店のジャズ”だった。
今では、ファイブスポットも閉店してしまい、ママがどこでどうしているかも知らない。でも、街のどこかでふとジャズが流れてくると、あの小さな店と、そこで過ごした日々が静かに心によみがえる。そして私は思うのだ。「あの空間に、また戻りたい」と。
ジャズのある喫茶店。それは、音と記憶と時間が静かに交差する場所。日々のざわめきのなかで、ほんの少し立ち止まりたくなるとき、私の心は今も、あの店の扉をそっと開けている。
