忙しさに追われる日々のなかで、ふと立ち止まって思う。「自分は何をそんなに焦っているのだろう」と。
「無為自然(むいしぜん)」という言葉がある。何もしない、という意味ではない。余計なことはしないという生き方。無理に為さず、自然の流れに従って生きる。老子が説いたこの考え方は、現代の私たちにこそ必要な生き方ではないかと思う。
私たちは、つい頑張りすぎてしまう。結果を急ぎ、他人と比べ、自分を追い立てる。でも本来、人も自然の一部だ。風が吹き、雲が流れ、花が咲くように、私たちも自然体であることがもっとも美しい。
あるとき、道端で咲いている雑草を見た。誰に見られることもなく、ただそこにある命。水を求めて根を張り、光に向かって茎を伸ばす。その在り方が、何より「無為自然」だと思った。
効率や成果を求めすぎると、人はかえって不自然になる。思いどおりにならない現実に苛立ち、心が摩耗していく。でも、自然は焦らない。春が来るまで、冬の静けさをただ受け入れる。そうやって、季節はめぐる。
私もまた、そう在りたい。急がず、飾らず、無理をせず。それは「何もしない」ことではない。「やるべきことが自然に立ち現れるのを待ち、必要なときに必要な行動を取る」ということ。それが無為自然の本質なのだと思う。
いつも何かを「しなければ」と思っていた私にとって、この言葉は救いとなった。生きるということは、本来もっと自由で、もっと自然なものなのかもしれない。
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