読むことの“先”にある理解の旅

読書が「知識を得る行為」だとすれば、本の執筆は「知識を自分のものにする行為」だと、私は思う。

一冊の本を読むだけでも、私たちは多くの情報や異なる視点に触れることができる。しかし、読んで「わかったつもり」になっていることは多い。たとえば、自己啓発書を読み終えたあとに、ほんの数日で内容を忘れてしまった経験はないだろうか? 読書とは、あくまで“外側から得た知識”なのだ。

一方で、本を書くという行為は、自分の中に取り込んだ知識や体験を構造化し、言語化し、読者に伝わる形で再構築するプロセスである。これは、「なんとなくわかる」から「自分の言葉で語れる」へと理解のレベルを深める、非常に知的な作業だ。

書くためには、曖昧な部分に直面せざるを得ない。
「この概念って、そもそもどういう意味だろう?」
「本当にそう言えるだけの根拠があるのか?」
「どんな順番で説明すれば、初めての人にも伝わるのか?」

こうした問いに立ち止まりながら、ひとつずつ整理し、自分の思考を磨いていく。アウトプットには常に「腑に落ちていない部分」が表れてしまうからこそ、私たちはより深く理解しようと努める。書くことは、自分自身への最高の学習ツールなのだ。

私はかつて、「読んだらわかる」と思っていたテーマについて、小冊子を書こうとしたことがある。すると、いざ書き始めると、驚くほど言葉が出てこない。断片的な知識は持っているのに、それを他人に伝えられるほど理解していなかったのだと、痛感した。だが、何度も調べ直し、考え直す中で、ようやく自分の中に「つながり」が生まれた。知識は点から線へ、やがて面へと広がっていった。

そして本を書き終えたとき、私はようやく「そのテーマについて知っている」と胸を張って言えるようになった。

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