マイルス・デイヴィス相関図ヒストリー

人脈・バンド・音楽進化がひと目でわかる相関図

ジャズの歴史は、マイルス・デイヴィスを中心に “星座のように” つながっています。マイルスは生涯にわたり、常に時代の先頭で音楽を変革し続け、そのたびに重要なミュージシャンが彼の周囲に集まり、そこから未来のジャズが生まれました。

1.バードとディジーから始まる ― 1940年代(ビバップ以前)

まだ10代だったマイルス・デイヴィスは、ジュリアード音楽院在学中に単身ニューヨークへ渡り、そこでチャーリー・パーカー(バード)ディジー・ガレスピーに出会います。この瞬間こそ、彼の人生のベクトルが決定的に変わった出会いでした。当時のニューヨークは、新しい音楽「ビバップ」が爆発的に生まれていた時代で、その最前線にいたのがパーカーとディジーです。

パーカーは“音楽そのもの”のような存在で、超人的なアドリブと深いブルース・フィーリングを併せ持ち、若きマイルスに圧倒的な影響を与えました。後年マイルスが語る「音の必然性」「感情を削ぎ落とした本質」へのこだわりは、この時期に芽生えたものです。

ディジーは理論家タイプの天才トランぺッターで、コード理論やビバップの体系を丁寧に教えてくれました。マイルスは、彼のもとで“アドリブを構築するための理屈”を学び、音の選び方やラインの作り方を深く吸収していきます。

この2人は、マイルスにとって最初で最大の「音楽的なメンター」のような存在でした。のちに彼が音楽的革新を行い続けたのも、その背後にはパーカーとディジーの影響があったことは見逃されません。

2.クールジャズの誕生 ― 1950年代前半

1940年代末から50年代前半にかけて、マイルス・デイヴィスは音楽家として大きな転換点を迎えます。その中心にいたのが、編曲家 ギル・エヴァンス(Gil Evans) という存在でした。ギルはオーケストレーションの魔術師であり、ビッグバンドから室内楽的サウンドまで扱うレンジの広さを持つ人物。マイルスは彼のアパート(通称 “ギルのサロン”)に通い詰め、そこに集まる作編曲家たちと議論を重ねました。

「少ない音で大きな世界を描く」、「アンサンブルの色彩を最大限に生かす」この2つの視点をギルから強く受け取り、結果として クールジャズ(Cool Jazz) と呼ばれる新しい潮流が生まれます。

速さ・技巧で競うビバップとは異なる、静けさ・構築美・透明感 を重んじる音のスタイル――その核を作ったのが、マイルスとギルの共同作業でした。

この時期のマイルスの周囲には、のちのジャズ史を左右する重要人物たちが集まっていました。彼らは単なるバンドメンバーではなく、「クールジャズ思想」を共有した同志でもあります。

Gerry Mulligan(バリトンサックス)
対位法的なラインを得意とするアレンジャー/プレイヤー。クールジャズの象徴的人物。

Lee Konitz(アルトサックス)
ビバップ的語法を避け、独自のメロディを紡いだ非パーカー系アルトの第一人者。

John Lewis(ピアノ/後のMJQリーダー)
クラシックの構造をジャズに組み込む知的アプローチで、サウンド全体の方向性にも影響。

これらのミュージシャンが一堂に会したことで、マイルス周辺には自然と「知的に音楽を構築するジャズ」 の空気が満ちていきました。

代表作:The Complete Birth Of The Cool

3.ハードバップ黄金期 ― 第1期クインテット(1955–1958)

1955年、マイルス・デイヴィスは “自分が本当に信頼できる仲間” を集め、後に伝説となる 第1期クインテット を結成します。このバンドは、単なる腕利きの集まりではなく、性格も音楽観も異なる5人が化学反応を起こし、ハードバップの理想形ともいえるサウンドを生み出しました。

“信頼できる仲間”が揃う

ジョン・コルトレーン(Tenor Sax)
当時はまだ無名に近く、粗削りで暴発するようなソロを吹いていたが、そこに光るものをマイルスは見逃さなかった。

レッド・ガーランド(Piano)
軽やかで洗練され、クラシックの流れを汲む左手のヴォイシングが特徴的。マイルスが最も信頼したピアニストの一人。

ポール・チェンバース(Bass)
安定感・歌心・技術を兼ね備えた20代前半の天才。後のモード期にも欠かせない存在となる。

フィリー・ジョー・ジョーンズ(Drums)
鋭くスウィングするドラミングでバンドに推進力を与え、マイルスのトランペットを持ち上げた。

マイルスは後年こう語っています。「このバンドは、ただ演奏するだけで“音楽”が生まれた」つまり、音を出した瞬間に世界観が立ち上がる、そんな奇跡的なバンドだったのです。

コルトレーンとの相互作用

当時のコルトレーンは、まるで “火薬庫を抱えた求道者” のようでした。ロングトーンや複雑なコード分解を追求し続け、マイルスのコンセプトとはしばしば衝突するほど。しかし、その緊張感こそがバンドを前へ押し出しました。

マイルスは「引き算の美学」、コルトレーンは「果てしなく掘り下げる探究」2つの異なる哲学が共存したことで、バンドは独自の推進力を獲得します。この時期のコルトレーンは、後の『Giant Steps』や“シーツ・オブ・サウンド”の萌芽を、すでにこのマイルス・バンドのなかで育てていきます。

代表作

’Round About Midnight(1957):コロンビア移籍第1弾。若々しくも緊張感ある演奏で、クインテットの方向性が鮮明に表れた作品。

Milestones(1958):モーダル手法を本格的に取り入れ始めた転換点のアルバム。“Milestones”はジャズ史の分岐点。

Cookin’ / Relaxin’ / Workin’ / Steamin’(Prestige 4部作)
一発録りで仕上げたとは思えない完成度。ジャズの“リアルな演奏空間”がそのまま閉じ込められた奇跡のスタジオ記録。この4部作は、バンドの実力と結束力を最も純粋に刻んだ作品として、今も多くのジャズファンの指針になり続けています。

4.モードジャズの革命 ― 1959年(歴史が変わった年)

1959年――この年はジャズのみならず、20世紀音楽の潮目が変わった瞬間として語り継がれています。その中心にいたのが、もちろんマイルス・デイヴィスです。

当時のジャズはコードチェンジ(コード進行)が前提であり、それがアドリブの“枠”を決めていました。しかしマイルスはその枠に限界を感じ、もっと自由で、もっと大きな空間を求め始めます。そこで生まれたのが “モード(旋法)” という発想でした。

複雑なコードを減らし、一つの音階(モード)を長く使い、演奏者が“空間”を自由に描く、という、当時としては大胆すぎる試みです。ビル・エヴァンスの詩的なハーモニー感は、モードの美しさを際立たせ、コルトレーンのスケール的なアプローチは、この新しい発想に抜群にフィットしました。

ジョン・コルトレーン — 求道者のように音を追い求め、垂直に突き上げるラインが特徴
キャノンボール・アダレイ — ゴスペルの温かみを伴った、開放的で歌心あふれるプレイ
ビル・エヴァンス — 内省的で、クラシックの和声感すら取り込んだ繊細なサウンド
ポール・チェンバース(Bass) — 安定感とメロディ性を兼ね備えた名手
ジミー・コブ(Drums) — しなやかなスイング感で全体を包み込むドラミング

マイルスが一音吹けば、全員がひとつの流れに収束していく。このバンドは、まるで“偶然に見える必然”のような奇跡のバランスで成立していました。

代表作

Kind of Blue(1959):ジャズ史のみならず、全ジャンルを超えて“最も影響力のあるアルバム”として語られる名盤です。

5.第二期クインテットの衝撃 ― 1960年代後半

ポスト・コルトレーン世代が集結

1960年代半ば、マイルス・デイヴィスは自身の音楽をもう一段階抽象度の高い領域へ押し上げるため、圧倒的な才能を持つ若手を集めました。そのメンバーこそ、

ウェイン・ショーター(Tenor/Soprano Sax, Composer)
知性とミステリーを併せ持つ作曲家。バンドの“物語性”を作り出す核。

ハービー・ハンコック(Piano)
自由と構造を共存させる革新者。和声とリズムの概念を大胆に刷新。

ロン・カーター(Bass)
ハーモニーの支柱でありながら、ラインで会話を仕掛ける“語るベーシスト”。

トニー・ウィリアムス(Drums)
当時わずか17歳。ドラムセットを「時間管理の装置」から「対話の武器」へ変えた天才。

この若き4人の天才を束ねたバンドは、まさに“知性とスリル”の極致でした。従来のコード進行に縛られず、互いのアイデアを瞬時に読み合い、即興の中で新しい形をその場で生み出していく。ジャズはここで一気に抽象度を増し、「何が起きるかわからない」音楽 へと進化しました。

第二期クインテットの最大の特徴は、マイルスがメンバーの創造力を“最大化”させるために指揮を最小限にしたことです。マイルスは「方向性を示すだけ」にとどめ、細かな指定はほとんどしませんでした。その代わり、ハンコックの大胆な和声の拡張、トニーの予測不能なリズム、ロンのしなやかなベースライン、ウェインの物語的かつ抽象的な曲構造、これらの“若い頭脳”をすべて作品に取り込み、自己のサウンドへと昇華していきました。

代表作

My Funny Valentine(1964):マイルス・デイヴィス・クインテットの名ライブ盤です。※テナーサックスはウェイン・ショーターではなく、ジョージ・コールマンです。

E.S.P.(1965):バンドとしての統一したサウンドが初めて収録された決定的な一枚。

Miles Smiles(1967):4人の対等な“会話”が爆発。ポスト・バップの最高峰。

Nefertiti(1968):旋律をホーンが繰り返し、リズム隊が即興するという、役割を逆転させた革命作。

Filles de Kilimanjaro(1968):エレクトリック・サウンドの兆しが見え始め、次期フェーズの“予告編”のような作品。

6.エレクトリック時代 ― 1969〜1975年

ロックとアフリカとサイケの融合

1969年、マイルスはまたもや自分自身を“リセット”し、アコースティック・ジャズの美学を完全に解体していきます。
当時世界を覆っていたロック、アフリカ音楽、サイケデリック、ファンク、電子楽器――あらゆる要素を呑み込み、“音の密林”のような新世界 を築きました。

参加ミュージシャンはジャンルも背景もバラバラで、まるで「才能の実験室」。

ジョー・ザヴィヌル(鍵盤/作曲センスがサウンドの中核に)

ジョン・マクラフリン(ギター/ロックのエネルギーを直接ジャズへ輸血)

チック・コリア(鍵盤/スピリチュアルな即興性)

ジャック・デジョネット(ドラム/爆発力と浮遊感の両立)

キース・ジャレット(鍵盤/アコースティック的アプローチを電子編成に持ち込む)

この時期のセッションは、ほぼ「録音テープを回しっぱなし」。マイルスは空気を読み、ミュージシャンを煽り、編集によって“作品”へとまとめ上げるプロデューサー的手法 を確立しました。

代表作

In a Silent Way(1969):ロックビートとアンビエントな響きを融合した、マイルス最初の「電化宣言」。
美しさと静けさの中に、不穏な未来の気配が漂う。

Bitches Brew(1970)― フュージョンの源流:音の奔流、長尺の即興、厚いエレクトリック編成。
「ジャズの革命盤」としてロックリスナーまで巻き込み、ジャズ史に巨大なクレーターを残した作品。

On the Corner(1972):アフリカのリズム、ミニマルミュージック、ファンク、電子音響……。
当時は理解されず酷評されたが、今ではヒップホップ〜クラブミュージックに直結する先駆的名盤と再評価。

7.80年代の再起と新しい顔ぶれ ― 新時代への適応力

ビル・エヴァンス(Sax)やマーカス・ミラーと組む

70年代半ばに活動休止していたマイルスは、80年代に電撃的な復活を果たします。しかし彼は、ただの“カムバック”では満足しませんでした。求めていたのは 「今、自分を最新形にしてくれる才能」でした。そこで出会ったのが、若き天才ベーシスト マーカス・ミラー。彼は作曲からアレンジ、プロデュースまで担い、80年代サウンドの核心である“テクノロジー×ブラックミュージック”をマイルスに与えた人物ともいえます。

またサックスには、当時から頭角を現していた ビル・エヴァンス(同名のピアニストとは別人)が参加。ロック、ファンク、エスニックを自在に行き来するその音色は、80年代マイルスの「都会的でクール」な空気感を決定づけました。

代表作

Tutu(1986) ― 80年代ジャズの象徴:マーカス・ミラーが多くのパートをマルチ録音し、シンセやドラムマシンを積極的に採用。マイルスのミニマルなトランペットと、ミラーの現代的なグルーヴが共鳴し、“80年代にしか作れないジャズ”を提示した金字塔。

Amandla(1989):『Tutu』で築いたサウンドをさらに洗練。よりアフリカ的、より温かく、よりメロディアス。晩年のマイルスの「歌心」がたっぷりと詰まった作品。

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